【第73代】照ノ富士
入門2年半で十両昇進、3場所後入幕。そこから、順調に番付を上げ、幕内8場所で大関昇進(負け越し1場所、大関昇進直前成績、8(前)-13準-12優:大関昇進の目安は3役で33勝、甘めの昇進です)それも、つかの間、すぐに低迷してしまいます。(2-13からの、8-7でのカド番脱出)ほどなく大関から落ちます。
当時は、大関陥落は、最早普通になっていたので、それほど問題ではなかったのですが、最終的に序二段からの再スタートととなりました。大関の十両落ちだけでも、結構問題になるのに、序二段。当時の照ノ富士が若かったというのもありますが、単に慣例な訳だけで、元大関が序二段で相撲を取ったらダメってルールはありません。
復帰後は、三段目で負けたりとか、色々ありましたが、復帰7場所で、幕内にまで帰ってきます。そこからの成績です。
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R2⑦ 前17 13‐2優
R2⑨ 前1 8‐5‐2休
R2⑪ 東小結 13‐2同
R3① 東関脇 11‐4
R3③ 東関脇 12‐3優
R3⑤ 西大関 12‐3優
R3⑦ 東大関 14‐1準
帰り入幕後、2場所で3役に返り咲き、5場所で大関に再昇進。(特例復活以外だと、魁傑以来2回目)2場所で大関通過。7場所中優勝3回、同点1回、準優勝1回。入幕から7場所での横綱昇進も史上最速。
横綱昇進は、「大関で、2場所連続優勝、又はそれに準ずる成績」という、内規があるので、特に問題はないですが、横綱昇進も、やはり直前3場所も考慮に入れるべきかと思います。
特に、照ノ富士の場合、3場所前の関脇ー大関間の連覇が効いてます。実際に2場所通過が可能な星だった白鵬の例(新大関から14優ー13同)もありますので。当時の協会の雰囲気だと、関脇の12勝が無印でも昇進していたと思います。
最後に、妥当性ですが、連覇経験あり、直前2場所26勝、12優ー14準、ですので、文句なし昇進です。