若年時の衝撃(機動戦士ガンダム、ゲームコーナー、ファミコンそしてPC98)

1stガンダムにギリギリ間に合った世代です。なんで連れて行ってもらえたのか覚えていませんが、1982年春公開の「機動戦士ガンダムⅢ~めぐりあい宇宙~」を小3と小4の間の春休みに父に連れて行ってもらって、見ました。これが、私の原点と言っても過言ではありません。翌日から、近所(と言っても1.5km位家から離れていました)の模型屋ガンプラ入荷日の土曜日には並びに行くという生活が始まりました。とにかく、それまでに見てきたものとは、明らかに異質でした。同時に明確に宇宙に興味がわき始めた時でもあります。とりあえず、毎週買えるわけではないのですが、1日50円の駄菓子小遣いは、全面的にプラモに振り替えたのは、よく覚えています。何が凄いかということは当時は明確には分かっていなかったと思います。ですが、この作品は凄いということだけは分かりました。小4はガンダムに捧げた時間でした。

小5になると1983年でしたので、ファミコンが発売される年です。同級生の何人かは発売冒頭から持っていましたね。これも、かなり衝撃でした。私の家は海から近く、連絡船の為のターミナルが近所にありました。そこに、待ち時間の退屈しのぎに、ゲームコーナー(今だとゲーセンレベル、かなりの面積を使っていました)が用意されていて、近所の上級生に連れられて、小1からそこで遊んでいました。とにかく暇つぶし用なので、全てのゲームやコインゲームが10円でした。なので、アイスを我慢すれば小1でも自力(?)で選択してゲームができる環境です。そういう環境で、インベーダーとかパックマンをやっていたので、ファミコンの発売に合わせてドンキーコングマリオブラザーズが投入されたのは衝撃でした。ほぼ、ゲームコーナーのクオリティです。これは絶対に買ってもらうと、私と弟の2人分のクリスマスプレゼントとして、親にねだって買ってもらったのはよく覚えています。

小5で変わったところは、塾に通い始めるという事が大きな変化でしたね。当時だと、塾は選抜テストで合格して初めて入れるというレベルです。「まぁ、通るやろ」と普通に考えていましたし、普通に通りました。

ファミコンを買ってもらうと一気に生活はファミコンシフトに。ゲームをするためには、文句を言わせないだけの成績も必要条件でした。そういう環境の中で過ごした小学ラストの2年、1984年にはナムコが参入して、欲しいのはいっぱいあるのに買えない(買ってもらえない)。弟と協力して、なんとかお年玉貯金を切り崩すことを親に認めさせて、無理やり買っているっていう感じです。

中学に入ると、当時は運動部に入れば内申書ボーナスがあるとかないとか、そんな感じで剣道部に入りました。(緩そうだったのと、警察の道場で小学6年間は剣道をしていて1級をもっていたので)本当に緩くて、入部してから練習をした記憶は2年間は皆無です。ラストの3年で体育会系の新卒が顧問になって、苦労させられたことは今でも忘れません。(正直剣道部所属さえ認定されればいいので、どうでもよかったです)そういう中でそれまでと一線を画する「スーパーマリオブラザーズ」が発売されます。当時の私はあまりそれには関心を示さず、ひたすらシューティングでした。ここら辺もガンダムが影響していると今だと思います。そんな感じで満を持して発売されたのがドラゴンクエストです。当時とすると、PCにしかなかったジャンルのゲームで、殆どの男子はやっていると思っています。これを、やってしまうと、最早これより上を探すしかないです。ある者はゲームセンター、ある者はPC‐88、ある者はそのままファミコンって感じです。私は手っ取り早くゲーセン派でした。ゲーセンと言っても、当時のダイエーの最上階とか、ボウリング場併設のゲームコーナーとかです。とにかく、安くないと無理でしたので、50円でできるとこだけ行っていた感じです。それに1回に持っていけるお金の上限は500円なので、必然ゲームが上達します。長く遊ぶにはうまくなるしかなかったですから。連射でこするので、基本爪の間には鉄くずが入っていましたね(笑)。そういう中でドラゴンクエストⅡの発売。みんな昼休みに問答無用で買いに行っていました。進学校に進む予定の私は内申書にビビって(先生じゃないです)教室で弁当食べて、普通に下校した後に買いに行きました。当時は、どれだけ先行できるかの競争でしたので、とにかく速く買う。3時間だけども、貴重な時間そんな感じです。同時にPCの環境も欲しかったので、言うだけ言ってみました。とにかく、欲しいというだけ(ゲームだけで25万とか基本無理です)。言ってみるもので、母が勤めている会社の経理をやっていて、当時としては珍しく一太郎とかロータス123使ってる。母も悩んだ結果、「98やったら買うけど」と言う。当時の98、ドライブが2HDDが2個でモニター込みで36万というレベル。当然買うはずはないと思っていましたが、なぜか家にパソコンが届きました。どうやら、働いいていた会社の社長さんに有益なら買ってやってもええとかなんとか、アドバイスをもらっていたようです。後日母の会社に忘れ物を届けに行ったときに見た8インチドライブは今でも忘れられません。(衝撃のでかさでした 。おおよそレコードと同じくらいでかい)そんな感じで、PC98が家に来たのですが、説明書を読んでも何をしたらいいのか分からない。母は、会社から一太郎とかを貸与されていて、家で勉強していましたが、当時はワープロとかどうでも良く、ゲームがないってだけで凄まじく落ち込みました。88より高いのになんで?って感じです。後になれば分かるのですが、いかんせん14歳、分かるわけないです。って感じで人格形成をされていきます。

後日も色々ありますが、今回はここまでにしておきます。

長文に付き合って頂きありがとうございます。

(2024年2月12日未明 記)