これから大学に入る人へ

今年も春を前にして、受験が終わろうとしています。

多くの予備校宣伝で「東大・京大・医学部医学科」合格の喜びの声を掲載しています。が、多くの受験生にとって殆ど無関係な話です。そこを受けられる人は限られた人であり、一般的な受験とは、なにかが違う感じです。

一般的な受験は恐らく「私立文系」だと思います。このカテゴリーの大学の定員が多いので、基本はそうなってしまいます。「私立文系」どこならば問題ないのか? 「早慶」「マーチ」「日東駒専」「関東上流江戸桜」関東の「私立文系」ならこんな感じのカテゴリーでしょう。

私が人事担当なら無条件で「日東駒専」未満は不合格にします。今流行りのインターンで抜群の実績(成績ではない)を残している学生ならともかく、その他大勢と同じかちょっと上っていうだけではそのレベルを取る意味がないからです。どんな会社でも3年以内にある程度の離職者が出るのは当たり前で、その前提で採用しますし、現実にもそのように運用されていると思います。要は残った人材の当たり確率が上位の学校に行けば行くほど高くなるのは、世の常です。

こういう事を言うと「大学に入ってから頑張った」という反論があるのですが、基本的に大学入ってから勉強しているようでは手遅れです。大学は18年間の蓄積の上で余裕で授業を理解し、卒業しなくてはダメです。三角関数が分からない人に大学数学の授業をしても全く無駄なのと同様に、日本語を正確に理解できない人に授業してもほぼ無意味、ということになります。ましてや、大学でbe動詞を教える大学なんかは論外もいい所です。とりあえず英語基準でいうと中学英語は問題ない(公立高校入試で90点以上取れる)レベルが「日東駒専」ということになり、それ未満は「もはや大学ではない」という評価になります。

これは受験生の評価ではなく、今の40代大卒の人の偏見ないしは実感なのですが、今の企業の人事担当者の入り口は概ね40代ということを考えると、偏見が企業の方針になってしまいます。そういうことをふまえて、進学か就職か専門学校かも慎重に選んでください。はっきりいえば、「どうにもならない大学」に行くよりは「専門学校で資格を取る」方が全く上です。

私自身の業務でも感じる事ですが、肉体労働・職人系の人材が少ないのか、工事や修理での見積もりがかなり強気です。大学に進学した人が、大学を出たからには肉体労働はしたくない、と考えるのは当然な気がしますが、同時に「自分は大学に行くべきではなかった人」という認識も同時に持たないと、破綻します。

大企業から必要とされない人材はどこに行くか?中小かブラックか自営です。いい中小企業の社長さんの下で働けるなら、それはとてもいい事なのですが、残念ながら中小企業の中にもブラックな社長がいて、その比率は余裕で5割は超えている感じがします。ブラックに行ってしまうと早々に破綻しますし、自営で行ける人はそれなりのものを持っていますし、持っていないと潰れます。自営の場合、大学より個人の能力によるところが多く、学歴とは一線を画します。それに交換が効く営業・ホール(大卒)よりは職人(叩き上げ)の方が遥かに重んじられる傾向があります。(飲食店で考えると、技能のある板前とホールスタッフ、どちらが重要か。考えるまでもないと思います)

これから人口が減っていく社会構造になりますが、営業職と職人、どちらが重んじられるかと考えると、職人です。いくら人口減少といっても、1億2000万がいきなり7000万になるわけではありません。人口統計では2050年に1億人を割るというのが、現時点での評価です。日本は不景気と言われて久しいですが、基本的には内需型の経済です。人口は減るけれど、1億人以上の人口が30年位は維持される、のが今の日本です。内需があるという事は一定数の肉体労働が必要とされるという事とほぼ同意義です。必要とされる職人になるのか、簡単に切り捨てられる営業になるのかは、選択次第です。

20年前ならこんなことは言わなかったのですが、大学進学率が40%を超えたあたりから、矛盾が出てきた感じがします。本来大学に行くべき人材は国公立大学の定員とイコールと言い切ってもいいくらいです。私立が許されているのは、50年前は金持ちのバカのため、30年前なら増えた18歳の吸収のため。今は? はっきり言って存在する意味が分かりません。学校法人の立場からすると暴論ですが、社会に人材を供給するという観点では全く無意味と言わざるを得ません。

なくなっても問題がない。これが私立文系の評価です。